円空さんを訪ねる旅(72)
円空学会総会参加(辻ヶ森三社・相応院)見学
(岐阜県高山市辻ヶ森公民館)
2016年9月18日(日)、岐阜県高山市で行われた「円空学会総会」に出席してきました。今年に入ってから円空学会の会員になったのですが、昨年度からの会員と言うことになります。
午前中講演が2つありました。1,長谷川公茂顧問の「円空の絵画」、2,小島梯次理事長の「旧高山市の円空仏」の二つでした。
(1)講演1「円空の絵画」(長谷川公茂顧問)
長谷川顧問は志摩片田と立神にある「大般若経」見返り絵が、「妙法蓮華経」第五巻「堤婆達多品」第十二の「女人成仏」の経典の情景を描いていることを指摘されました。根拠は片田の「大般若経」第一巻下部に龍が描かれ、中央に龍王の八歳になる娘が宝珠を釈迦に捧げている様子を描いているからという指摘でした。そして片田に残る58枚の絵、立神の130枚の絵を順次検討していくと、どんどん簡略化が進むことが見られるということでした。釈迦の後背が無くなる、三蔵法師は笠を被り背負子を背負っていた姿だったのが、笠のみになり、姿そのものが描かれなくなるなどでした。
又、「堤婆達多」の姿が描かれていることは「悪人成仏」をも円空は意識していたと思われるという指摘もしておられました。「女人成仏」を円空がなぜ強く意識せざるを得なかったのかについては、ご自身が強調されている「幼少時洪水で死んだ母親の供養」ということと結びつけて論じられました。一方で、梅原猛氏の「円空非嫡子説(まつばりっこ)」説も入れながら、円空の性格についても言及されました。
この見返り絵(絵画)省略が円空仏(彫刻)省略に結びつき、抽象化、簡略化へ円空を向かわせ独特の円空仏を生み出さしめたという見解は、私もなるほどと思いました。
(2)講演2「旧高山市内の円空仏」(小島梯次理事長)
小島理事長の講演は、まず、「私は長谷川先生のように円空の心のありさまを論じることは出来ない。しかし、円空仏そのものがその心を語っていると思う」というなかなか意味深長な前置きから話を始められました。
まず、旧高山市には111体の円空仏が発見されており、個人所蔵のものが多いなどの特徴を述べられ、総会の後予定されている辻ヶ森三社の一体と相応院の三体についての話が続きました。そして、飛騨高山まちの博物館にある諸像についてご自身の見解を述べられました。私が興味を持ったことを箇条書きしてみます。
1,東山白山神社の如意輪観音像の制作年代を寛文9年〜延宝元年とする浅見龍介氏(「飛騨の円空」展カタログ2013年)論文は疑問である。
*浅見氏は円空が飛騨の国を訪れたのは、通説となっている貞享2,3年頃及び元禄3年頃より早い時期にすでに訪れていただろうと推定された。その時期の作品として、東山白山神社の柿本人麿像、飛騨国分寺の弁財天像、素玄寺の不動明王立像を、円空が飛騨に残した前期像と考えておられる。浅見氏の見解は、作風と制作手法の特徴からの推論である。千光寺の両面宿儺もこの時期ではというところまで言及されている。しかし宿儺の背銘にある晩年になって頭部に現れる「最勝のウ」があることの説明がつかないようで、結論を保留したような書きぶりになっている。
2,霊泉寺地蔵堂の愛染明王が儀規に従った座のつくり方をしている。
3,飯山寺の像は護法神としておく方がよい。金剛神というのは執金剛神のことであり、仁王へと変化する。執金剛神は金剛杵を持っているものだが、この像の持っているものは不明である。
4,神通寺の烏天狗像を、カルラだと言う人もいるが、烏天狗は愛宕神と繋がる日本固有の神であり、カルラはインドの神である。
5,東山神明神社内保食神社の像は背銘に「稲荷大明神」と書いてあるが、甲冑を着ており、こういう例はないものである。
6,願生寺の背銘聖徳太子像もなぜこれが聖徳太子なのかよくわからないものである。
ここまで、資料に書き込みをしながら聞いていたのですが、この後、どうしたわけか、ファイルを紛失してしまいこれまで書いたことも、これから書くことも記憶を頼りに思いだして書きますので、不正確な記述になるやもしれません。
(3)辻ヶ森三社立像
(高山市岡本町19.1cm)
表情も大きさも大変かわいい像です。 辻ヶ森三社というのは、字の通り、三つの社を合わせた神社です。元々白山神が祀られていたところに熊野社、日枝社が合祀されたというお話しでした。 顔だけ木の色そのままで、色白の像に見えます。おそらく他は墨を塗ったのでしょう。それは背面を見ると鮮明です。背面にも当初は色が塗られていたものと思われます。しかしいつの時期かに頭部をのぞいて首の辺りから表面を削り、と種字と真言が書かれたと思われます。 大変美しい分かりやすい梵字で、円空が書いたものではありません。 一番上はカ(キャ)で、十一面観音の種字です。 続いて、「オン ロ ケイ ジンバ ラ キリク ソワ カ」と十一面観音の真言が書かれています。 白山神は十一面観音の本地仏です。この像はその辺りの事情を十分熟知した人物が、いつの時期にか、書き込んだものであろうと想像できます。 |
(4)飛騨国分尼寺遺跡
この辻ヶ森三社のある場所は、飛騨国分尼寺金堂のあった場所でした。立て看板が設置されていて説明がありました。おもしろく読みました。近辺を発掘すれば、他の建物跡や塀なども出てくるのだろうなと思いながら。
(5)相応院の稲荷神像・薬師像・如来像
(高山市岡本町)
稲荷神像 (15.5cm) |
薬師如来像 (5.9cm) |
如来像 (9.7cm) |
稲荷神以外の二体は個人宅に円空が彫り残した像であろうと思われます。 薬師如来の背面にはベイが見えます。そして日光・月光り菩薩の種字。一番下にはシリー(吉祥)が書かれているようです。 右二体の頭部には最勝を表す「ウ」。 如来像は大日如来三種真言が書かれているとのことでした、確か。背中の一番上は阿弥陀さんの種字キリークのように見えるなあと私は思うですが、確かなことを覚えていません。それにしてもメモした資料を無くしたのは残念。 薬師如来の底部に「也久し」と墨書されていました。 本当に小さい二体です。立派な仏壇があるお家ならいくら大きくてもよかったでしょうが、このくらいの大きさが適当だったのでしょう。それでも背面に真言を書き、種字を書き残している円空の祈りが見えてきます。 |