円空さんを訪ねる旅(75)
津島市円成寺の神像
(愛知県津島市中一色町)
(1)円成寺へ行く道で
平成28年11月20日(日)、今年を締めくくる研究会が慈光山円成寺(愛知県津島市中一色町西訳一〇一)で開催されました。
集合時刻は午後一時三十分(研究会開催時刻は二時)でしたので、京都から参加する私は新快速を乗り継いで名古屋へ行き関西線で永和駅へ行くことにしました。しかし東海道線が十分余りの遅れで、米原で大垣行きに乗り遅れ、結果的に新幹線で名古屋に向かわざるをえませんでした。
しかしおかげで予定より早く着き、名古屋駅構内でDさんにお会いしいっしょに会場へ向かうことになりました。Dさんは絵をお描きになりますが、毎年の年賀状は鉈薬師の十二神将だそうです。ほぼ毎月二十一日は鉈薬師でスケッチされるらしいのです。
永和駅から円成寺までほとんど信号のない田んぼの中の真っ直ぐな道を歩きました。集落の入口付近には立派な屋根を持つ地蔵堂がいくつもあり、熱田神社や中一色神社もありました。立派な石垣のある広いお屋敷があちこちに見られました。
(2)慈光山円成寺
円成寺には集合時刻より十五分早く到着したのですが、他の参加者の方々はすでに着いておられました。朱色の門の向こうに鐘楼があり、最初禅寺かなと思ったのですがここは浄土宗のお寺でした。鐘楼の左側に安政年間に建てられた本堂(天井三段張り、間口七間奥行十間)があり、本尊は金ぴかの丈六の阿弥陀如来ですこの阿弥陀如来の印相は初めて見るものでした。左側には曼荼羅堂が本堂と向き合うように建てられています。西方律寺と呼ばれていた時代もあったようで、その時の阿弥陀三尊などの仏像が安置されているお堂もありました。後で奥様から無住の時代があったとお聞きしたのですが、立派なお寺です。
(3)円成寺の円空神像
(36.9cm×17.5cm×8.0cm)
正法寺本堂でいよいよ研究会が始まりました。最初に小島梯次理事長のご挨拶があり、ご住職の奥様からのご挨拶が続きました。その後小島理事長から正法寺の円空神像についてお話がありました。
正法寺には神像が一体あります。口元に微笑みを称えた優しい像です。円空がよく神像として彫る形式です。幞頭(ぼくとう)冠を被り、僧侶のような通肩で両肩を覆った神像です。手は衣の下に隠された状態で像と台座の境目はなく、一気に円空独特の神像の台座である筋彫り台座となっています。ちなみに円空の彫る神像には烏帽子を被っているものと幞頭冠を被っているものがあります。烏帽子は昔貴族が日常生活で用いたものであり、幞頭冠は正式な会合などで用いた冠であるとのことでした。
色はほぼ黒色に近く私は墨が塗られているのではないかと思いました。たまたまお隣に長谷川公茂顧問がおられましたのでお聞きしましたら、「あれは煤で黒くなったものであろう」とのことでした。これは後からの議論で、この像の由来を考える上でポイントになることでした。底部を見せていただきましたが墨の後はありませんでした。
(4)尊名は?
背銘です。梵字が書かれています。三行です。 右 (ア)(金剛界大日) 中 (キャ)(十一面観音)(キリーク)(阿弥陀)(*ム)(意味不明)(ア)(金剛界大日)(バン)(ウン)(胎・金合一) 左 (ア バン ラン カン ケン)(胎蔵界大日如来法身真言) もし意味不明の梵字が観音を表す(サ)なら上の二文字と会わせて、白山本地仏三尊と考えられる。それが薬師を表す(バイ)なら熊野本地仏三尊と考えられるが、仏像名ではない(ム)が書かれているため尊名は決定できないとのことでした。又、こういう梵字の書き方からこの像の彫られた時期の確定も決め手がないということでした。ただ、手慣れた彫りであり、大変美しいお顔をされているなどから延宝後期なのではないかということでした。 |
(5)この像の由来は?
本堂の左手少し小高くなった場所に熊野社がありました。もしこの像がこの中にあったものなら、熊野神説が有力になります。奥様のお話では自分が嫁いできた頃昭和四十六年には庫裡にあったとおっしゃいました。昭和四十二年発行の「尾張の円空仏」という小冊子(津島高校の教師たちが作成)にはこの像が載っていました。長谷川顧問が「熊野社の祠の中におられたにしては大きすぎないか、また色が真っ黒なところから考えると、小祠堂なら木の色がそのまま残ることが多いので、この像はもっとものが燃やされたりする場所にあったのではないか」とおっしゃいました。 なるほど、私は今まで円空の像が黒いのは相当数墨で塗っているのではないかと思ってきました。家の中で今より多く薪や炭を焚き、菜種油であかりを灯し、線香やロウソクをあげていた時代に対する想像力に欠けていました。 「近辺に円空仏は他にないですか」と聞きました。「全くないわけではなく、この近辺を円空が歩いた可能性はある」とのことでした。 |
(6)自由解散
Sさんがたくさん柿を持ってきて下さっていてお土産にいただきました。永和駅までGさんに送っていただきました。鉈薬師でお世話しておられるRさんといっしょでした。Rさんはこの英和あたりが三川などの州で肥沃だが低湿地なため、伊勢湾台風で壊滅的な打撃を受けたという話をして下さいました。そして駅の北側に見える山脈が養老山脈で、その左に伊吹山が見え、冬には伊吹山から寒い風が吹き降り、雪も運んでくるというお話でした。円空が見ていた風景が見えてくるようなお話でした。
Dさんが十二月にスケッチに行かれるなら私も鉈薬師へ行こうかな、Rさんにも逢いに。まだ鉈薬師の円空さんとご縁がないものですから。