円空さんを訪ねる旅(76)
飯田市運松寺千面菩薩
(長野県飯田市鼎名古熊)
長野県には23体の円空仏が現存しています。そのうちの2体は移座されたもので、2016年11月23日ガンダーラの会主催の見学会で拝観させていただいた飯田市の2体(運松寺・願王寺各一体)は愛知県荒子観音寺の千面菩薩の中の2体です。なぜ移座されたのかについては後で詳しく書こうと思います。
運松寺の門入口付近に西国三十三ヶ所の石仏が並んでいます。「円空ゆかりの寺」という立て札と同時に荒子観音寺にある菩薩像の模刻石仏もありました。
(1)千面菩薩
(21.0cm)
ご住職が黄色い布に包まれた菩薩像を見せてくださいました。かろうじて自立できますが、1円玉の力を借りています。台を動かそうものならすぐにこけそうです。ご覧のように背中、胸、座などは手を加えた形跡はありません。大きく鉈で割った後、小刀か鑿を使って頭部、足元を彫っています。最低の彫りで彫りだしています。
(2)千面菩薩の顔
首を全く彫らず眉、目、口をやや太めの直線で彫っただけです。少し顔の中央を高くして鼻を表現しています。頭巾か何かを被ったように見えます。底部、座は欠けているように見えます。ひび割れも見えます。材がS字状に曲がっていることを利用して裾を斜めに入れることで顔を傾げた菩薩像にしています。
同行しておられた方に、こういう木っ端仏は、時間にしたらどのくらいで彫れるかと質問しておられました。その方は「十数分」と答えておられました。丸鑿を使わなくても平鑿で曲線がでるという話もでていました。
(3)荒子観音寺について
円空について語るとき、荒子観音寺を省くことは考えられません。この寺には円空仏が1255体存在し、他へ遷座している11体を含めて1266体が確認されています。現在全国に5386体(平成27年2月現在…「円空・木喰展」カタログ小島梯次監修)の内の1/4近くがあります。単に数が多いから重要という意味だけでなく、荒子以前と以後で造形意識、造形形式の違いが明確になるという点からも重要性の意味があります。
又、「浄海雑記」という書物が残されており、その中に円空がについての記述があります。筆者(当時の住職)は円空と同時代の人ではありませんが円空についての重要な情報が書き込まれています。その一つに円空がこの寺を訪ねたのが延宝4年(1676)であるという情報があります。
「荒子観音寺は円空と円空仏研究の中心に位置しており、円空の造像は荒子観音寺への道程であり、荒子観音寺からの展開であるといっても過言ではない」((「円空仏入門」(2014小島梯次著P.57)と言い切っておられるぐらいの寺です。
(4)荒子観音寺の千面菩薩がなぜここに?
その荒子観音寺の千面菩薩については、「浄海雑記」「尾張名所図絵」「葎の滴・感興漫筆」という幕末の三書に記載がありましたが、未発見でした。
ところが、昭和47年11月多宝塔の須弥壇で見つかりました。三書に書かれていたとおりのものでした。発見は最初数名の方だけが知っておられたようですが、昭和50年4月29日の毎日新聞のスクープ報道で世に知られるようになりました。
この昭和48年7月に住職の次男がおられたこの運松寺に移座されたのが、今紹介している千面菩薩です。運松寺には授与状が残されています。この後に行く願王寺の千面菩薩もこの時に送られたもので、これは観音寺で修行され次男に運松寺を紹介された兄弟子のご住職に譲られたそうです。そしてもう一体、千面菩薩が入っていた箱を開けられた宮大工さんにも譲られたそうです。
この千面菩薩発見当時のことが書かれているものはどれも臨場感があっておもしろいと思います。私が興味を持って読ませていただいたものをあげておきます。
@「円空研究」別巻@「特集〈千面菩薩〉所収 谷口 順三「荒子の千面菩薩」
A行動と文化研究会編 小島 梯次著「荒子観音の円空仏」