円空さんを訪ねる旅(81)
関市神光寺
(関市下有知)
神光寺には、4体の円空仏とちょっと不思議な2つの彫像物(円空作かどうかは不明)がありました。順に見ていきたいと思います。
(1)尊名不詳像
(74.0cm)
その中で一番背の高い像です。ほほ笑みをたたえたスマートな立像で、頭に顔より大きな冠のようなものをのせておられます。手は法界定印を結び、やや体全体を右に傾けておられます。腐食がかなり進行しており、特に下半身は深刻な状態だと思いました。円空は桧など柔らかい材を使うので腐食には強いのだそうです。同じ江戸時代の木喰は堅い材を用いるそうで、腐食してきている仏像が多いとのことでした。この像は堅い材を使って彫ったのではなかろうかと思われるようです。
私は、竜を頭に冠した善女龍王か、龍王観音の制作途中なのかなと思いました。手に玉を持っていなくてしかも如来のような定印であること、しかし頭に冠状の飾りを付けているとなるとますますよく分かりません。衣服もお腹の辺りにある横二本の線や縦線が袴をはいているように見えます。右足の突起は何か彫ろうとして止めたようにも見えます。座が磐座のみで蓮座がありません。神像でしょうか?お腹が少し出ているようにも見えます。円空像にはお腹の出ているものが多いように思います。よく分からないお像です。背銘もなく尊名が特定できないお像ということになります。
制作年代は延宝前期ではないかとのことです。
この神光寺といけいけで白山神社があります。そこに以前83.5Cmの善女龍王(頭に竜、手には玉を持ち、磐座に立つ)があったのですが、盗難にあったそうです。そのお顔はこの像に似ているように見えます。
(2)怒りの表情の十一面観音
(57.0cm)
円空の十一面観音と言えばほほ笑みをうかべたような優しい顔をしていると思います。このように眉間にしわを寄せ、眼が釣り上がったような表情は、普通明王や天部像に多く、菩薩像で憤怒というのはどうなのでしょうか?
本当の怒りなら縦皺ではないかとおっしゃっていました。と言うことは老年の十一面観音?観音さんが年寄りになることはなかろうと思うのですが。
この像の不思議は他にもあって、頭上面が12もあるのです。ですから正確にはこの像は十二面観音ということになります。以前から小島先生は円空の十一面観音は頭上面の数が十一とは限らないと言っておられました。例えば円空仏の中でも有名な飛騨上宝桂峯寺は6面、美濃市岩屋観音堂も6面です。しかし11より多いというのは私は初めてでびっくりしました。
彫りが速い円空ですが、この像は随分荒々しい彫りであるように思います。特に手を隠すようにしたところとか衣文などは特にそうです。私が今まで持っていた円空の十一面観音のイメージとは相当違うものだなと思いました。背面に何が書かれているのか不明とのことでした。
(3)護法神?
(56.0cm)
護法神というのは一般名詞でそういう名前の仏様、神様がおられるわけではないのです。円空は背銘に護法神と書くこともありますが、あくまで一般名詞として使っているようです。しかし箒頭の怒髪で大きな眼で、手が表現されないこのような像を護法神と呼ぶことが多いのも確かです。
三宝(仏法僧)守る役目をする神々は護法神だということになろうかと思います。四天王や十二神将、天部も護法神になるのではないでしょうか。
この像、眼に墨が入っています。先程の十一面観音にも眼が墨で入っていました。背銘は何が書かれているのか不明だそうです。円空の護法神は明らかに憤怒像です。恐ろしい迫力のある表情をしています。ところがこの護法神はどうも「トボケタ顔」(小島先生談)をしている。
この像も荒々しい彫りで、十一面は怒らせるし、尊名不詳の像も頭冠部を彫り忘れてあるようだし、この三体を彫った頃、円空は何か「荒れ」ていたのでしょうか。
(4)観音像?
これの背面に何か梵字のようなものが書かれているのですが、私は全く読めません。特に説明もありませんでした。これはもともとこの寺にあったものか、檀家のどなたかが持ち込まれたものか分かりませんが、10cmほどの小像です。よく円空がお世話になったお宅に彫り残していくもののようです。磐座の上に蓮座を彫りその上に観音さま(だと思う)が彫られています。ねずみにでもかじられたのか頭部に傷があります。
(5)不思議な物体
このお寺にあるものは、謎の多いものだらけなのですが、この物体は一番不思議と言えば不思議です。 まず、円空が彫ったかどうか分からない。何をあらわしているのかが分からない。 左のものは、白山三山を表しているかも知れないとのことでした。そう言えば山の表現のようです。 右は宝珠か、蓮の蕾かもしれない、ということでした。 箱に入れられたこの二つのものを見ながら、何が彫りたかったのだろうと思いましたが何も思い浮かびませんでした。 私が生まれた家の裏に右の宝珠型の大きな石が台の上で鎮座していました。家族の誰もそれが何なのか知りませんでした。しかし粗末に扱うわけにもいかなので、毎日水を替え榊を供えで祖母などは拝んでいました。隣のおばあさんも毎日拝んでいたと、後年おっしゃっていました。そのおばあさん曰く「何の御利益もなかった」そうです。 |