円空さんを 関市竜昌寺 |
竜昌寺訪問は2回目です。最初は2017年3月26日(日)、中日文化センター主催の『早春の岐阜・関・美濃へ円空仏に会いに行く旅』ででした。今回は2018年6月3日ガンダーラの会「関・岐阜・美濃の円空仏を見る」現地学習会。今回新発見の円空さんがおられましたのでそれをまず報告しようと思います。前回書いたものを生かしながら、付け加えたいと思います。
新発見の観音菩薩
何度もこの寺を訪問されている円空学会理事長小島梯次講師も初見の観音菩薩像である。
ご住職の息子さん(他の寺のご住職)がこの像についてお話しされたことによると…。お寺にある檀家の位牌の安置されていたところから、発見されたとのことであった。ご覧のように立派な台座が後付けされている。円空がよく民家に彫る筋彫り臼座の上に蓮座の台座が元のすがた。10cm〜15cmの小像である。金泥が塗布された痕跡もある。背面には。3本の斜め線。光背も付けられていたようで、後頭部と背中から台座にかけて接着剤の跡も見られる。眉、目を筋彫りしてあり、口を窪めてある。手は禅定印を結んでいる。
背面の梵字を読んでみる。頭部には「イ」。これは円空が延宝7年までの像にある梵字。この寺にもう一体ある峯児大明神と同じ文首文字が書かれている。背中の一番上に書かれているのは「ア」かなと思う。この字は通種子といって、この文字を書いておけばどんな仏像でも現せるという便利なもの。あるいは退蔵界大日如来かもしれない。弁財天の「ソ」観音菩薩の種字「サ」かとも思うが断定できない。いずれにしても観音像であろう。その下三行に大日如来三種真言が書かれている。★右・大日応身真言〈ア・ラ・ハ・シャ・キャ(ナウ)〉★中央・大日報身真言〈ア・ビ・ラ・ウン・ケン〉★左・大日法身真言〈ア・バン・ラン・カン・ケン〉。
(1)峯児擁護大明神
(25.7cm)
峯児(みねちご)は関市にある高賀山高賀神社山頂に祠のある峯児社の祭神で、「子どもを護る神」です。4月29日にお祭りをされるそうです。この像は、本堂裏の竹藪にあった小祠堂に祀られていたそうです。
頭に烏帽子を被っておられます。神様の日常生活用の冠りものです。全体的にかわいい仕上がりです。鑿跡が荒々しく思い切って彫ったのでしょう。底から見ると長方形です。おそらく建築材から彫られたものだということでした。
「峯児」と言えば円空が高賀神社に奉納したとされる自身の遺物の中の硯に「峯児」と彫り残していることを思い出します。円空は自身が「峯児」でありたい(ある)と思って彫ったのか、「峯児」に護られていると思って彫ったのかと思いながら硯を見たことがあります。
円空の「峯児」が何体あるのか分かりませんが、出していただいた資料には関市松見寺の峯児妙刀大明神・擁護大明神と並んで併記されている背銘を持つ像と、岐阜市個人蔵の峯児子大権現攸と書かれた像がありました。妙刀は刃物の町らしい命名ですし、「攸」というのは「ユウ・ところ」と読み、場所を表しているようです。
なぜこの二つの像の背銘のことを書いているかというと、この像の背銘がかなり鮮明なのですが、意味が分からない文字が像名の最後にあるからなのです。
背面と底部の写真です。 まず底部ですが、何か色を塗った跡が見えます。おそらく墨を塗ったのでしょう。 背銘の三行の内の右側です。右が何を表しているのかよくわかりません。私は梵字や種字の知識がないのでよく分からないのですが、説明では右と左に分けて、金剛界五仏種字が書かれているということでした。 真ん中は漢字が書かれています。まず頭部一番上に、文首文字〈イ〉が書かれています。円空が文首文字に〈イ〉を書くのは延宝7年までの前期像に書くそうで、この像は延宝4,5年頃の作ではないかということでした。後期になると最勝を表す〈ウ〉が書かれます。 その後は峯児擁護大明神ですが、一番下が不明だという文字です。小島先生は「廻国」かなとおっしゃっていました。 私は「処」の旧字である「處」ではないかと思います。この字なら岐阜市の個人蔵の青面金剛神「攸」と同じ意味になります。 梵字や種字の研究が円空仏の年代を確定するのに大切な役割をすることはよく分かるのですが、その基礎的な知識に欠け、しかも特徴が覚えられないので何とも歯がゆい限りです。一覧表みたいなものを作成しようかと今考えています。 |
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*二度目の訪問でもう一度赤外線写真を撮ったのですが、この写真の方が鮮明。もう一度読みに挑戦してみます。 中央の漢字の読みは私の読みで間違いないと今回確信した。 右の種字です。「右・バン(大日如来)・ウン(阿しゅく如来)・トラー(宝生如来)・キリーク(阿弥陀如来)・不明) 左です。トラー(宝生如来)・アー(不空成就)・バーンク(五点具足の大日如来)・シリー(吉祥天)と読んだ。金剛界五仏と金剛界退蔵界大日如来そして吉祥天の種字が書かれている。これが何を意味しているのかなと考えている。 |