円空さんを訪ねる旅(87)
延養寺
(群馬県高崎市新町26)
新町と書いてあら町と読むそうだ。延養寺は高崎駅西口からすぐの場所にある高野山真言宗の寺院。創建は南北朝時代まで遡るそうだが、現在地に移転してきたのは慶長3年(1598)井伊氏が高崎に移るのに伴って移転したらしい。歴代の住職は、それぞれ大阿闍梨や学頭などの僧位にある格式の高い寺院。
ツアー客である我々一人一人にお茶、あんパン、みかん、菓子などを用意して歓待していただいたのには驚いた。そしてありがたく頂戴した。
6月15日に行われる「青葉祭」ほうずき市の案内ちらしと 「延養寺ー高崎市」寺の概容書かれた資料(森田秀策著)や群馬県立歴史博物館岡部央氏が「文化遺産」に書かれた「群馬の仏像概観11・新発見ー梅を描いた円空仏」および「延養寺蔵円空仏の基礎データ」などの資料もいただいた。
天神像
(39.8cm)
「平成6年(1994)、本堂内に円空仏があることが近藤義雄、池田秀夫氏らの調査で明らかになり、同9年に市の重要文化財に指定された『「延養寺』(森田秀策)より。
衣冠をつけ、正面を向き、両手を胸前において、巌座に座す。冠は甲の中央部から太い巾子が立ち、巾子の後面と接するように跳ね上がった巾広の纓が巾子上方で折れ背中まで垂下している。甲は中央部をやや高めにし、磯は上方より下方そすぼめるように大きな面取りであらわす」「延養寺蔵円空仏の基礎データ」
「束帯をあらわしたものであろうが、袍をつけるのみで」他の装身具は見られない。(群馬県立歴史博物館岡部央作成)より
目鼻口などは小ぶりで大変上品で穏やかな印象を受ける。丁寧な彫りである。
桧の一木造り。素木仕上げ。
底面に2つの秘密(梅の絵と2種類の加工)
@この木はヒノキの角材からの造像 台座底面に二つの加工跡あり。前面はノミ跡、後方は鋸目跡。このことから、この像の原材は柱などの建築材の一部であり、木組み使われたほぞ穴の位置でで切断したものではないかと推測されます。おそらく七寸角のヒノキ柱材から長一尺二寸を切り落として使用したのではないでしょうか。正面に板目、側面に柾目を配して彫出しています。 A梅の花の絵からこの尊名は「天神」 底面の二つめの秘密。梅の花の絵が描かれています。「東風ふかばにおいおこせよ梅の花主人なしとて春なわすれそ」」の歌で有名な菅原道真(天神)であることをこんなところに書いているのではないかということが推論できます。ちなみに円空は他の神像4体にも梅の花を描いているそうです。いずれも像高4〜14cmの小像だそうです。円空歌集の中に、道真の先の歌を本歌取りした歌があるそうで円空が梅の花と天神さんを重ねることはありうることです。 |
背面に文字はないが深い彫り跡
上部の彫り跡は冠の後部が肩の下まで伸びていて長いことを表している。
そして両手を意識したような彫り跡が、相当深く刻まれている。
右上から左下への斜め線は円空初期像にみられますが、ここでは太い線が5本。これも異常に太い。
こういう背中に彫りがある像は初めて見た。
背面にはノミ跡が見られる。磐座と天神との境目は平のみで彫り込んである。
この像全体が相当黒いというか茶色い。しかし柿渋を塗った形跡はない。油煙が像全体に付着してこういうアメ色になったようだ。
調査が入る前、寺では「円空に似てる」という話をされていたようである。何でも床の間に置かれていたそうで、「足利尊氏に似ている」という話もあったらしい。