円空さんを訪ねる旅(88)

不動堂十一面千手観音
群馬県富岡市黒川不動堂)(61.5cm)

不動堂に十一面千手観音?

 富岡の貫前神社(上野国一宮)の西に妙義山が聳え、この山を神体とする妙義神社には円空の不動明王がある。貫前神社近くのここ、不動堂には十一面千手観音像がある。千手観音像は大きいものが多いがここのはやや小ぶりである。ただ、足元が切断されていて元の大きさは不明である。
 この不動堂は明治期(明治の廃仏毀釈とは関係ないそうだ)火災にあい、救い出されたとされるが、いつからここに祀られているかは判然としない。(富岡市文化財保護課の資料より)
 
 小高い丘の上に不動堂がある。かなり傾斜のある石段で、慎重に降りた。もともとそこに不動明王もこの十一面千手観音も安置されていたのであろうが、何しろ不用心ということで、仏像の背面にあるような収蔵庫に納められている。幸い私たちのために前に出してくださっていた。
 聞いた話では、廃仏毀釈の時に貫前神社から相当数の仏像など仏教関係のものが持ち出され、この不動堂と貫前神社の中間にある河川の河原で燃やされたそうだ。この円空さんはその時に難を逃れ残され、この不動堂に納められたらしい。他にも多くの円空仏があったのではないかと予想できる。不動堂から河川の木々が見える。そして貫前神社からも同じように見える。

 上の写真の左如意輪観音石像、優しいお顔でバランスもよく魅力的である。近郊の信仰を集めておられるらしく地元の方が特別に説明してくださった。
 頂上仏も丁寧に彫られている。胸前で合掌しておられる手と宝珠を持っておられる手。これは、高山市国分町清峯寺などと同じである。脇から出ている手の数は相当数無くなったようである。また、手のつけ方が不自然なものも見受けられた。台座は返花かと思った。磐座と蓮座の多い円空にしては珍しい。後補かもしれない。両腕から天衣を垂らし、腰から下は鱗模様で、足元だけ真っ直ぐな直線で衣服を表している。耳はすごい省略である。
 何時入れられたのか、紅をさしている。体全体色が黒いが、ロウソクの油脂やものを燃やした時の煤ではなかろうか。上半身に比して下半身のバランスが悪いが、柔和なお顔である。

背銘と腕のつけ方

 まず、千手のつけ方である。ほぞ穴を開けて差し込み、釘を打ち込んであるようだ。手をくっつけてある箇所と右の背の色が白っぽいのは何か意味があるのだろうか?
 背銘である。注目されるのは2点である。頭部に最勝を表す「ウ」の梵字があること。
 そして、2つ目。「退蔵界大日如来三種真言」が書かれていること。「退蔵界大日如来三種真言」とは大日如来法身真言(ア バン ラン カン ケン)、大日如来報身真言(ア ビ ラ ウン ケン)大日如来応身真言(ア ラ ハ(バ) シャ ナウ(キャ)のことである。3つ目の大日如来応身真言の( )内は円空独自の用字で、間違って覚えたのか意識的なのかは不明。
 この二つの注目点の意味は以下の通りである。
 最勝「ウ」が用いられ、「退蔵界大日如来三種真言」が用いられるのは、延宝7年以降であること。そして関東で「ウ」が用いられた像はこれだけであること。このことから、関東の円空像の最終像ではないかと思われること。
 この像は、おそらく貫前神社大般若経断簡に書かれた年号延宝9年(1681)であろうと思われる。
 円空は、延宝7年まで頭部に「イ」を書き、金剛界五仏種字を背銘に書いていた。ところが、白山神の託宣「円空の彫る仏像は「仏」である」を受けて、金剛界(強固な智の世界)から退蔵界(慈悲の世界)に変化したようだ。言い方を変えると、「延宝7年を境として、自身のための造像から他者のための造像へと変わっていく。仏教言語に置き換えれば、自利から利他へ、上求菩提から下化衆生への移行である」(「円空仏入門」小島梯次著・まつお出版・P.71)
 そしてこの変化は延宝7年から9年の関東巡錫中に円空の中で深まったことが想像できるということになろうか。
 延宝4年中心に円空仏は愛知県での造像が目立つ。しかし延宝7年以降、天和、貞享、元禄と岐阜県の小祠堂が目立つようになる。(「円空仏入門」小島梯次著・まつお出版)
 博物館での拝観は別にして、私が関東の円空仏を現地で拝観したのは初めてである。帰ってきてから本を読み直し、円空さんの中で変革の時期だったのだなと思った次第である。
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