円空さんを訪ねる旅(98)
尾張の円空仏
(観音寺・某寺・宝昌寺・栄国寺・津島地蔵堂)
再訪できた寺・小祠堂が5カ所あった。3カ所を簡単に紹介する。
@円空さんを訪ねる旅(58) 名古屋市観音寺 |
A円空さんを訪ねる旅(73) 尾張某寺十一面観音 |
B円空さんを訪ねる旅(64) 海部郡大治町宝昌寺 |
頭に龍を冠した善女龍王像。丁寧な彫りで背銘から円空後期の作と思われる。 | 尾張にある3体しかない十一面観音のうちの一体。 | 寛文八年丁未銘のある観音像北海道・東北から帰ってきて最初の造像か。 |
江戸時代のキリスト教遺跡のある栄国寺も訪問した。前回の記録はC円空さんを訪ねる旅(55)名古屋市中区栄国寺にある。
今回の「尾張の円空仏」ツアー(2017・11・19〜20)で、私が一番期待していたのが、津島千体地蔵堂であった。前回拝観できなかったので、楽しみにしていた。前回の記録は、円空さんを訪ねる旅(32) 津島市千体地蔵堂にある。
このお堂にはビデオ写真撮影禁止という趣旨の張り紙があった。管理しておられる方のお考えである。
津島千体地蔵堂には1008体(千体地蔵)+3体(韋駄天と童子像2体)+1体(千体地蔵ではない地蔵)=1012体の円空仏がある。これは荒子観音寺の1255体につぐ多さである。
千体を超える仏たちの内訳は以下の通りである。
@像高21cmの地蔵菩薩像
A少し大きめで彫りのしっかりした衣文もある六地蔵6体
B数センチの地蔵像992体
C烏天狗10体
中心になっている地蔵菩薩は、僧形で宝珠を両手でもつ座像である。この1008体が地蔵菩薩を中心に前後左右に階段状の台座に配置されている。烏天狗と六地蔵を見つけようと頑張ってみた。六地蔵の何体かはすぐ見つかったが、烏天狗は結局一体しか見つからなかった。
円空仏はこの小像群だけではなく、他にもある。
D韋駄天
兜をかぶり、合掌していて、千体地蔵の左に祀られていた。韋駄天は伽藍守護の役目を持つ天部であり、このお堂を護る役目をもっていると思われる。韋駄天の背面に書かれている梵字は特徴的で、後頭部に文首記号のイ、右側面に最勝のウが書かれている。これは延宝7年銘の中観音堂(岐阜羽島市)護法神と同じである。また、背面全体にイが書き巡らされている。これは延宝4年の荒子観音寺千面菩薩と同じであり、津島千体地蔵堂の諸像が延宝4年から7年にかけての造像であることを物語っている。
E二体の童子像
30cmはあろう大きい像である。中心の地蔵よりも大きい。千体地蔵の両脇にあり、台座の中心にある地蔵とほぼ同じ高さになるようにしてある。一体は僧形で合掌しており、もう一体は宝棒を持ち、長髪で毛が立っている。円空が作る不動明王の脇侍、矜羯羅童子・制多迦童子と同じである。しかし不動明王の脇侍ではない。津島では、善財童子、護法神と呼んでいるが、こういう組み合わせはなく、小島講師は、地蔵菩薩の脇侍、掌善・掌悪童子とお考えである。その方が理にかなっている。この二体が、千体地蔵全体の脇侍の役割を果たしているのであろう。
Fもう一体の地蔵
千体地蔵のある厨子の右に小さな像が数多く残されている。円空作ではない仏たちである。その中に、円空仏が紛れて入っているというので捜してみた。小さいものであるが、そう言われてみればそうかなという小像であった。千体地蔵の中にあったものがこぼれたのかよくわからない。
津島千体地蔵堂を拝観して、私の拝観した円空仏は一気に1012体増えた。
現在円空仏は5300体あまり見つかっているらしい。尾張の荒子観音、津島地蔵堂、竜泉寺の三カ所で発見されている円空仏だけでその半数を越える数になる。尾張地方に3200体余、円空が尾張で活躍したことがよく分かる数字である。