円空さんを 訪ねる旅(99) 関貞寺・某社 (名古屋市東区徳川) |
名古屋に徳川という地名があるということを知って新鮮であった。尾張徳川家伝来の『源氏物語絵巻』所蔵で有名な徳川美術館が近くにあるという場所にやってきた。
私は秀吉の城下町京都市伏見区に現在すんでいる
尾張初代藩主の幼名からの命名「五郎太町」は現住所から100mほど東にある隣町で、清涼庵という尼寺がある。一帯を大亀谷と言うが、この地名も尾張藩主の母、家康の側室「お亀の方」からきている。
関貞寺で聞いた話では、大昔この辺り一帯は縄文遺跡貝塚がある場所で、すぐ近くまで海岸であったらしい。
(1)関貞寺の宇賀弁財天
(30.1Cm)
頭に宇賀神を載せ、大きな宝珠を持つ宇賀弁財天座像である。名古屋市中川区願成寺の宇賀弁財天は甲冑姿であったが、これは違う。台座が切られている。天部であるから磐座の上にあったのかもしれない。
背面に文字は見られない。随分傷があり、凸凹も激しい。宇賀神は機嫌が悪そうな顔をしている。
(2)某社の烏天狗
(48.7cm)
この像は中村区の神社にある秋葉神社に祀られていた。しかし他の摂社が盗難に遭ったので無住の状態fでは危険だということで、現在の神社が預かっておられるらしい。秋葉三尺坊烏天狗として主神であったようだ。細長い像である。筋彫り座に載り沓を履いている。据手して衣で手を隠している。顔の彫りがおもしろい。正面から見ると、くちばしがすごく尖って出ているように見えるが、横から見るとそんなに出ていないし尖りもしていない。上の写真のように丸くなっている。秋葉神は火除けの神。背面に文字は見えない。
関貞寺を辞して、名古屋駅まで帰った。名古屋駅太閤通り口へ着くまでに、中村区を通り太閤通りへ出た。そこではっと気づいたのだが、これ秀吉のあの中村か…と。
秀吉の生誕地は現在名古屋の中心部だったのだなと驚いた。私が子どもの頃読んだ秀吉の出世物語では、「中村の貧しい農家で生まれ育った日吉丸は、家出して矢作川の橋で寝ていたところ、蜂須賀小六にひろわれて…」という話であった。すごい田舎で生まれたのだろうと思っていたので、その落差が新鮮であった。