私の円空さんを訪ねる旅も101回目になった。重複している場所もあるので訪れた場所が100カ所を越えたのではないが、よく続けたものだ。
2017年12月3日〜4日、ガンダーラの会主催の「諏訪大社・万治の石仏と群馬の円空仏を見る」ツアーに参加した。今年5月20日(土)〜21日(日)にも群馬の円空仏を拝観している。今年は群馬の円空さんと縁が結べた。
群馬には現在16体(14カ所)+移入仏1体が確認されている。私は前回と今回合わせて6体の円空さんと出会うことが出来た。前回の記録は以下の通りだ。
円空さんを訪ねる旅(85) 群馬県みどり市成満院 |
円空さんを訪ねる旅(86) 群馬県みどり市松源寺 |
円空さんを訪ねる旅(87) 群馬県高崎市延養寺 |
円空さんを訪ねる旅(88) 群馬県富岡市不動堂 |
円空さんを訪ねる旅(89) 群馬県富岡市貫前神社 |
円空さんを訪ねる旅(101)
妙義神社
(群馬県富岡市妙義町)
妙義神社は、妙義山の東麓にある神社である。妙義山は、上毛三山(赤城山・榛名山・妙義山)の一つ。高速道路からその姿が見えはじめると「なにあの山?」と思わず声が出た。凸凹が激しい岩山がいくつもいくつも連なり、日本三奇勝の一つというのがよく分かる景観である。上の絵地図でもこの山と岩の関係がよく分かる。「大」文字もあって?という気持ちになった。
妙義神社は妙義山信仰の中心となる神社である。江戸時代、関東平野の北西に位置するところから乾天門の鎮めの役割を担い、徳川歴代将軍家に深く信仰されるという歴史を持つ。創建は537年で古くは波古曽神社と言った。
上左の写真。総門(仁王門)の後ろに妙義山が少し顔を覗かせている。神社に仁王門?と思うのは神仏分離令以後の日本の常識である。円空との関係で言えば、この場所こそ円空にふさわしい神仏混合の祈りの場・修行の場なのであろう。ここには白雲山石塔寺という神宮寺があったのである。その寺の門が仁王門なのである。
右の写真は、高いところにある本殿、拝殿である。駐車場からこの総門まで勾配のきつい坂道で階段がない。さらに総門から階段が続き、さらに100段あまりの階段を登ったところにある。こんなきつい参拝道のある神社も珍しい。最近坂道を登ると「ああしんど」と思うようになっている私は、これは気合い入れて登らないと思っていたら、総門から一つめの階段登ったところで、職員の方が「ガンダーラの会の方、こちらです」と声をかけてくださった。円空仏のある「御殿」は、社務所のある場所と繋がっており、神宮寺である石塔寺のあった場所であった。
下は、波古曽神社(県重文)と社務所玄関である。玄関に「ガンダーラの会様」の掲示物があった。我々を待っていてくださったことに感謝した。と同時に、階段登らなくても済みそうと少し安堵した。
不動明王座像
(37.6Cm)
「御殿」の宝物ケースの中に不動さんはおられた。背面には金剛界、退蔵界曼荼羅の掛け軸があり、密教法具(割五鈷・五鈷鈴)も展示してある。仏像もあり、廃仏毀釈以前の石塔寺のもので残されたものが展示してあるようだ。
何度か写真ではお目にかかっている不動さんである。座が、下へ行くほど細くなっていて、何ともバランスのよくない像に見えた。現在は高坏のようなものに載っておられて大丈夫かなと思う。何度もあちこち向きを変えて写真を撮らせていただいたが、難なく立つ。重心が保てるように彫られているようだ。
右手に剣、左手に羂索を持っておられる。左手の羂索は縄というより布のように見える。
背面をよく見ると、まず、左肩に大きな節が見える。全体に模様のようなへこみがある。おそらく木材表皮の間に虫が入って食べながら這った跡ではないかと話した。座の一番下は朽ち果てたものではなく、最初からこのような欠けた材を使って彫り上げたものだろうと思われる。正面から見ると感じないのだが、背面から見ると、よくこんな材をと思う像が、円空さんにはある。荒子観音寺千面菩薩後面にある「是也此之クサレルウキ々トリアケテ子守ノ神ト我は成なり」を思い出させる。
正面から見れば、下へ行くほど細いのは気になるがそれほど違和感はない。しかし左右両側面から見た姿はどう見ても不動明王には見えない。
結局、本殿や拝殿は拝ます降りてきた。同行の方でお二人は拝して来られた。時間があれば行ったかな。いや、あの階段はやっぱり遠慮したかなと思った。
帰りの参詣道に猿の群れがいた。子猿、赤ちゃんをお腹にぶら下げたメス、ボスザルのような風格のある大きいもの、駐車場の車の上や空き地、土産物屋さんの屋根など堂々と動き回っていた。だれかが追い払うでもなく人間と共存しているように見えた。駐車場からほぼ満月に近い大きな黄金の月が見えた。今夜は草津温泉に泊まる。