円空さんを 訪ねる旅(106) 大泉寺 (長野県木曽郡木曽町三岳) |
2018年4月15日(日)栄中日文化センターの紀行講座(講師小島梯次氏)「春爛漫・木曽(御嶽山・馬籠)の円空仏に会う旅」へ参加。あいにくの雨模様で栄中日ビルを出発。午前中は横殴りの雨で河川の濁流見ながらであったが、午後からはお天気が回復傾向になった。今日訪問する四ヶ所の円空仏は初めてお会いする円空さんばかりである。そう言えば長野県の円空仏も初めだ。
大泉寺の概略が案内板にあったのでそれをご紹介する。
(1)円空と御嶽山
円空が木曽を訪れたのは、御嶽山との関係であろうと思われる。
円空は伊吹山で修行した。また白山とも深い関わりがある。北海道、奈良県大峯山、飛騨の山々にその足跡がある。円空が全国各地の山岳修験の行者と交流を持ち登拝を目ざしたことは容易に察することができる。
御嶽山とも深い縁があることを講師の小島先生は3つの資料で説明された。
①円空歌稿(岐阜県関市洞戸高賀・高賀神社蔵)の和歌
「おほん嶽 暗の峯の白雲は けさの御山に かかる夕立」…『おほんたけ くろのみねの白雲は 袈裟の御山に かかる夕立」で歌意は、御嶽山の闇につつまれた峯にたなびく白雲は けさの御山(千光寺)に降っている夕立のためであろう。
この説明を聞きながら、円空はどこでこういう景色を見たのだろうかと思った。想像かもしれない。御嶽山と千光寺のある高山市丹生川が重なる地点で御嶽を仰げる場所、あるのかどうかが想像がつかない。地理感覚がないのがもどかしい。
ここでは、円空が御嶽山を歌っているという事実が大切なので次へ行く。
②諸神唱礼文(岐阜県関市池尻・弥勒寺蔵)
円空が29の神々を「南無」している(敬意を払い尊敬している)ことを表明している礼拝文。読経の際唱えていたと思われる文。その中に『南無御嶽権現』がある。この29の神々の内、山に関係がなさそうな神は、最初の3神(伊勢両大神宮・八幡大菩薩・春日大明神)と「南海龍」及び神々の総称である「八百万神」の五神であることからも円空が山々を崇拝していたことが察しられる。
③粥川鵺縁起神祇大事(岐阜県郡上市美並町粥川・星宮神社蔵)
漢寺で書かれた文にカタカナ読みが付されている。七五調を意識した読みのようだ。「立山白山遠・乗鞍山馬嶽・笠木山音嶽」「タテヤマシロヤマトヲザカリ・ノリクラヤマコマガダケ・カサギノヤマヲヲンタケ」御嶽山は「音嶽」と表記されている。字数を合わせるためであろう。神祇の「ギ」の漢字、示になっているが正しくはネである。
(2)貞享3年頃の韋駄天像
(24cm)
円空の韋駄天像である。甲冑を身にまとい面前で両手を合わせ、磐の上に立っている。天部には沓をはかせるのも円空のやり方。いつも思うのだが、衣服をこんな簡略化して彫るのはなかなかである。側面に鰭丈の突起起伏をつけているのも効果的である。
24cmの小像であるが、UPして表情だけ撮るとなかなか迫力である。正面からの顔はどうもおたふく風邪のようで変だ。ところが側面や斜めから見ると普通になる。横に張り出したほっぺたを思い切ってなくして欲しいと思った。
手と喉の間に、木が出ている。韋駄天像は面前に合わせた手に刀を持っている像が多い。これは後から刀を付け加えたのかもしれない。しかし彫り終わった後で、施主の希望で顔と手の間に突き刺した状態にしたのかなと思った。いや経典という意見も出ていた。突き刺したように見えるのはかなり異常だ。
韋駄天は禅宗寺院では厨房や山門を守護する役目を持つ武将神だそうだ。臨済宗のお寺であるから、本来は厨房にあったのかもしれない。何か色を塗ったのではないかと思うくらいの黒い色をしている。厨房にあったのなら煤ける可能性が高い。私は赤外線写真を上手く撮れなかったのであるが、同行の方は背面に種字を確認しておられた。最勝のウ、帰命のオンの下に大日三種真言が書かれていたとのことであった。墨を塗ってから文字は書かないであろうから、やはり煤けたのであろう。この種字の書き方と木曽にある他の円空仏との関係から、貞享3年頃の作であろうということであった。
足が速い人を「韋駄天のようだ」と言ったり「韋駄天走り」という言葉もあるように走ることと結びつく天部である。