円空さんを 訪ねる旅 (108) 等覚寺 (長野県南木曽町) |
等覚寺のあるこの辺りは読書(よみかき)という地名らしい。2007年まで南木曾町立読書小学校があったが統廃合された。1873年(明治5年)に等覚寺が三留野学校をを創立したのが始まりだというからこの寺が地域に果たしている役割の大きさが想像できる。私は最初読書を「どくしょ」と読むのかと思ったが、「よみかき」だった。明治の小学校にふさわしい名称だなと感心したが、地名だと知って(そりゃまたどうして?)と思った。山門に立派な仁王像がある。
等覚寺に円空仏が3体ある。左上の写真左から天神、韋駄天、弁財功徳天と十五童子である。弁財天の眷属である15童子のうち8体がある。だから正確には10体あると言える。
(1)弁財天十五童子像
(20cm)
この像は、境内の小祠堂にあった。「円空のミニチュアミュージアムやなあ」と思った。小さくて可愛い。楽しくなってくる。
円空の弁財天と十五童子像は他に荒子観音寺ともう一ヶ所個人蔵があるという。
少し大きめの下の板が1段目。左右に箱階段みたいな三段の着座があり、中尊の前に長方形2段の階段がある。十五童子から竹串が出ており、台座のほぞ穴に差し込み安定するようになっている。円空は並べる順を指定している。十五童子の背面に弁天の種字「ソ」と左右の文字がある。右の写真でほぞ穴が確認できる。
中尊弁財天は宇賀弁財天(頭部に宇賀神・17.4cm))で、宝珠を持ち磐座の上に座しておられる。鼻が欠けている。頭は黒く、顔には白が塗られている。顔を彩色した像は初めて見た。目も入っている。後代のものか円空の彩色か。
左下の写真中央にこの中で一番小さい不動明王(4cm)がおられる。何で十五童子の中に不動さんなのだろう。荒子の十五童子にも不動さんはおられるらしい。甲冑姿の童子、宝珠を持つ童子、前のめりのもの、視線も様々、表情も色々で楽しい。
もう一つ大切なことが分かっている。この小祠社の由来書きがある。そこに「貞享3年寅八月十二日当寺山内造建堂杜一宇勧請弁財天尊并十五童子而以祈山門繁栄村民豊穣…」と書かれており、この像は貞享3年(1686)8月12日頃に造られたことが分かる。後に見る天神社の棟札と同じ年号が確かめられる。この像の後に、天神像が彫られたようだ。2ヶ月の経過が見られる。
弁財天背面種字 | 弁財天台座文字 |
まず、アルファベットHのような線彫りがある。 頭部に弁財天の種字「ソ}が書かれており、大日三種真言が書かれている。小祠堂に安置されていたせいか、文字が鮮明である。 ★右・大日応身真言〈ア・ラ・ハ・シャ・キャ(ナウ)〉 ★中央・大日報身真言〈ア・ビ・ラ・ウン・ケン ★左・大日法身真言〈ア・バン・ラン・カン・ケン〉 |
右・並十五童子 中央「ソ」(弁財天種字)大辧財功徳天 不動荒神歡喜 □駄天 三行目の不動、荒神、歓喜(天?)、韋駄天は何だろう?十五童子の中にこれら神仏が入っていますよというメッセージか。 功徳天はもともと吉祥天のことであるが、弁財天と混同されるようになったらしい。吉祥(シリー)の夫が毘沙門天らしい。 |
(2)韋駄天
(48cm)
この韋駄天は、庫裡に祀られていたそうだ。直前に拝観した(106)長野県木曽町大泉寺の韋駄天より随分大きい。目の周囲に「怒り」の縦皺が彫られているがそれほどの威圧感は感じない。四等身で、随分頭、顔が大きい。背銘種字は大日三種真言のようである。庫裡の中で煤のためか燻されたような色になっている。
(3)天神
(28.6cm)
等覚寺のすぐ横に東山神社がある。その入口付近に天神社があり、その中におられた天神さんである。現在は等覚寺におられる。丁寧に彫っている。冠と毛髪は彩色してあり、目にも黒を入れ開眼されている。
背銘種字である。冠の先に最勝の「ウ」、「ア(胎大日)・バン(金大日)・ウーン(蘇悉地・護法神?)」と続いて、大日三種真言が書かれている。右に不動明王(カーン)その下が護法神(ウーン)か、左に毘沙門天〈バイ)、吉祥天〈シかリー)か歓喜天(ギャク)か。
と、一知半解で判読したが、講師の小島先生に教えを請うことにした。種字解読は難しい。小島先生から以下のように教えていただいた。いつものことながら感謝。
この神像には棟札が付属してある。天神社を新造したことが書かれ、貞享3年丙寅(1686)6月25日の年号が入っている。円空55歳の時の作であり、木曽に足を運んだのはこの年であることが想定できる。様式的にも間違いなさそうである。
神像の背面墨書のことですが、
中央 ウ(最勝の) キャ(十一面) カーン(不動) オン(帰命す) ソ(弁才天)
右 ウン(護法) 不明 (胎蔵界大日如来三種真言)
左 ベイシラマンダヤ(毘沙門) シリー(吉祥)
因みに、天神の本地仏は十一面観音です。(カーン・ウン・ベイシラマンダヤ)は眷族。
(ウ・オン・ソ)は後年の円空仏によく書かれる組み合わせです。
円空は貞享3年に木曽御嶽山登拝をしたようである。黒沢口一合目大泉寺に韋駄天、三合目開山堂に飛騨から移座してきたと思われる観音菩薩、そして南木曾町等覚寺の諸像がそれを物語っている。
弁財天の小祠堂 | 円空堂 | 天満宮 |