円空さんを 訪ねる旅(109) 永昌寺 (岐阜県中津川市馬籠) |
中日文化センター主催「木曽の円空仏に会いに行く旅」の最終目的地、中山道の宿場町馬籠永昌寺を訪ねました。(2018・4・15)午後からは雨がやみました。永昌寺は、臨済宗妙心寺派です。馬籠にある島崎藤村記念館は中山道の街道筋にあり、記念館から200m程歩くと永昌寺はありました。永昌寺の円空さんを上写真右の「無量壽堂」で拝観できました。
(1)観音菩薩
(53.4cm)
なかなか整ったお顔で、八頭身のスタイルの良いスマートな観音様です。火焔状の宝髪を結っておられます。衣文の彫りは浅く衣で手を隠すようにして蓮の蕾を持っておられます。磐座の上に蓮座その上に裸足を左右に開いた観音様が立っておられます。蓮座も衣服の彫りもそれほど丁寧ではありません。お顔が丁寧で整っているだけに惜しいなあというか、違和感を感じました。この像背面に種字は書かれておらず、「施主 桃雲宗源菴主」の文字が書かれているそうです。円空の手ではない文字です。
木曽には個人蔵の円空仏が他に数体あると伺いました。近在から移座されたものがあるようです。
後ろにおられるのは、阿弥陀如来です。同行の方が平安時代を下らない地方仏師の作ではなかろうかとおっしゃっていました。頭部や手が破損しており、ご住職のお話では、後年彫り直した形跡があるそうです。
島崎家墓 | 藤村記念館 | 永昌寺から田園風景 |
馬籠宿ちょっぴり散歩
ご住職が馬籠宿の変遷について語られたことが印象に残った。
馬籠が観光地として認知されて観光客が訪れるようになったのは1960年代(昭和40年台)だったそうだ。国鉄のディスカバージャパンキャンペーンで一躍有名になったらしい。私が初めて訪れたのは1972年だからすっかり有名になった頃である。奈良井宿で宿泊して、国鉄南木曽駅まで行き、妻籠宿から馬籠宿まで歩いた。山の中を歩いたことを覚えている。「木曽路はすべて山の中である」という島崎藤村「夜明け前」の出だし通りだなと思った。
この当時馬籠を訪れる観光客は藤村目当ての人が多かったそうだ。私が訪れた永昌寺は、島崎家の菩提寺で藤村始め一族の墓がある。夜明け前の主人公は藤村の父で、その墓もある。ところが現在、馬籠を訪ねる客の1割ほどしか夜明け前も藤村も知らないらしい。
ご住職はこの頃の馬籠が好きだったとおっしゃっていた。
現在、外国人観光客が急増しているらしい。欧米人は歩くグループが多いという。わずかな時間しか馬籠にいなかったのだが、リュックサック姿の5、6人の男女グループを数組見た。大きな荷物を妻籠~馬籠まで500円で運ぶ商売が黒字になったらしい。
日本人相手から外国人相手に、島崎藤村から離れて日本の原風景を求める旅へ、馬籠観光の力点が変わってきているらしい。円空仏も大都会で「円空展」が盛んに開催された頃は、出展、出展でお寺におられる方が少なかったらしい。今は静かに夜明け前の主人公に思いをはせ、円空さんとも対面できる。