円空さんを 訪ねる旅 (110) 天徳寺 (岐阜県関市天徳町) |
2018年6月3日(日)ガンダーラの会の「関・岐阜・美濃の円空仏を見る」ツアーに参加した。最初に訪ねたのが関市にある天徳寺。この寺には円空が北海道へ渡る前、寛文5年34才頃の極初期像釈迦如来座像がある。この2,3年初期像や極初期像を見せていただく機会が多い。私は円熟した時期の抽象化・省略化された円空さんも好きだが、丁寧に彫ることを意識していたであろうこの時期の円空仏も好きだ。
天徳寺のこの像は一度拝観したいものだと思ってきた像なので今回の訪問はうれしいことであった。
また、思いがけずもう一体、裳懸座の長い寛文後期の観音菩薩像も拝観することが出来た。
釈迦如来
(47cm)
この釈迦如来丁寧に彫られている。表面を滑らかに仕上げている。その他、この像の特徴をいくつか挙げてみる。
①螺髪が彫られている。円空仏の中では螺髪のある像は3体見つかっている。残りは東北地方にある2体の釈迦如来像(青森県むつ市大湊・常楽寺と宮城県松島瑞巌寺)。耳横あたりの螺髪は丸くない。右側は上の写真のように三角形。左側は台形をしており、彫り忘れたのでは?と思わせる。ついでだが、この螺髪大きさも並び方もランダムである。
②三道(首筋にある3本の線)が彫られている。三道のある円空仏はこれのみ。
③筋彫りの臼座の上の蓮座に真横に出た出っ張りがある。
④着衣は通肩であるが、左肩にショールのような布がかかっている。
⑤腹部から布が出ていて、下へ向かったあと向かって左方向に流されている。
⑥上着の袖が膝の手前で後方へ向かう。
⑦印相は法界定印。この印相は大日如来と釈迦如来のみであり、この印相で背面に釈迦の種字(バク)がある像が数体あるところからこの像も釈迦如来像と判断されている。円空は左手上、右手下にするがこれは異例。インドでは左手は不浄であり、不浄の手を右手で押さえる意があるらしい。しかし左大臣が右大臣より位が上という例もあり左右に差異があるとも言えないようだ。
⑧目は二重線で彫られている。鼻は高くない。横から見ると「鼻べちゃ」である。正面から違和感はない。
⑨背面に文字や梵字はなく、左上から右下へ斜め線が7,8本彫られている。
⑩底面に文字はない。木目がはっきりしており、丸太を材にしていて円空仏としては珍しい。十字に材に墨を入れた跡があり計画的に作像した事がうかがえる。ただ、この線の延長上に顔はない。顔はこの線のかなり右側に中心があり、彫っている過程で変更されたのではなかろうか。
(2)観音菩薩像
最初釈迦如来像の横に置かれていた。これは円空さんがよく民家へ彫り残していかれる観音さんだなと思った。宝冠を被っておられる。 筋彫り臼座の上に隠れるように蓮座(一重)が彫られ、さらにその上に初期像に特徴的な裳懸座がある。隠された手の上を覆っている布がまっすぐ手前へ降ろされそれが座に被さっている。 裳懸座をもつ円空像について小島梯次氏が「円空仏入門」に書いておられることを引用する。 「平成25年岐阜市美江寺町・美江寺で裳懸座が極端に長い観音像の新発見があった。像高より長い裳懸座を持つ円空像は本像(美江寺)を含めて11体ある(岐阜市4体、大垣市1体、羽島市4体、関市1体、稲沢市1体)。裳懸座が像高よりやや短い円空像は、美濃地方を中心に、岐阜県、愛知県に数十体ある。裳懸座のある像は寛文後期に位置づけられ、その行き着いた頂点が、極端に裳懸座の長い像だと思われる」 この像は極端に裳懸座が長いものではなく、数十体あると書かれている寛文後期の裳懸座が像高よりやや短い像の一つであろう。 ということになると、天徳寺には寛文5年頃の釈迦如来像と寛文後期の特徴を持つ観音像があることになる。この観音像がもともとこの寺にあったものか、後年移座されたものか、あるいは釈迦如来像が移座されてきたものなのか聞き忘れた。二回円空さんがこの寺(あるいはこの付近)を訪れた可能性があることを想像させる二体の像である。 |