円空さんを訪ねる旅 (125) 碩善寺 (愛知県日進市) 釈迦如来立像 観音菩薩座像 |
2019年11月13日愛知県日進市にある浄土真宗のお寺碩善寺で円空さんにお会いしてきました。この日はガンダーラの会の現地学習会でした。
名古屋から地下鉄東山線「本郷」駅下車後、市バスで碩善寺へ向かいました。市バス駅からお寺までは最近開発されたのではないかと思える住宅街で、広く立派な住宅が並んでいました。
碩善寺も最近普請されたと思われる立派な山門やお堂でした。
私は集合時間より早く着いたものですから、門外で待っていましたら、奥様が先に「入ってお待ち下さいと声をかけて下さいました。
この寺には2体の円空さんがおられました。寺の檀家の方から寄進されたものだそうで、円空がここへ来て彫ったものではないそうです。講師の小島梯次円空学会理事長によりますと、犬山市にこの2体によく似た円空仏があるそうで、もともとは犬山市にあったものではないかとのことでした。
①観音菩薩座像
(27.5Cm)
磐座の上の蓮座に座し蓮台を定印の手に持つ観音です。火焔状の頭部をしています。 円空さんの初期像の特徴がある像です。 ①表情がやや硬く微笑みより厳しさが感じられます。(微笑が未消化という云い方を講師はしておられました。) ②蓮座の下部にでっぱりがあります。 ③衣文の流れが初期像の特徴を見せています。 ④肩には衣の上にさらに衣というかケープのようなものをまとっています。 ⑤背中には8本の刻線が見られます。背銘はありません。 磐座に腐食による傷みが見られます。顔と蓮座にはスレ見られます。 極初期像ではないが、寛文末円空40歳頃の作ではないかと言うことでした。 |
寛文末の何時なのかは、見解の分かれるところです。
私が今まで拝観した像でこの像に似ている像容及びお顔の像は、岐阜県多治見市の普賢寺、愛知県海部郡大治町宝昌寺、岐阜県揖斐川町瑞巌寺のいずれも観音像です。まだ拝見したことのない北海道松前郡吉野教会の像、青森県東津軽郡正法院の観音像もよく似ています。
となると、こういうスタイルの観音像は、北海道や東北へ行く前に彫られたのか、帰ってきてから彫られたのかということになります。
寛文7年は愛知県海部郡大治町宝昌寺の像が彫られたことが推定されています。寛文9年は鉈薬師の像が彫られた年です。寛文8年という年は、円空の所在が記録で掴めない年です。様式からの推定がどこまで可能か、そんなことを考えさせられた現地学習会になりました。
②釈迦如来立像
(35.6Cm)
もう一体の円空像です。前の像とは違い延宝7年以降に彫られたことがはっきりしています。
なかなかいいお顔の釈迦立像です。この像は自立しません。大変薄く、かなり前から自立してなかったようで、裏面にカンが打ち込まれていて下げられていたようです。従って上の写真も寝かしてあったものを上から撮らせていただきました。
まず、この像がなぜ釈迦如来なのかが分かるかというと、背面の種字からです。
講師の小島先生の受け売りで恐縮ですが、自分が読み下したかのように書かせてもらいます。
右からです。
アン(普賢菩薩) ア・バン・ラン・カン・ケン(大日如来法身真言 ウ(最勝)*頭部 バク(釈迦如来) ソ(弁財天) ア・ラ・*1ハ・シャ *2ナウ(大日如来応身真言) マン(文殊菩薩) ア・ビ・ラ・ウン・ケン(大日如来報身真言) |
円空は、*1ハをバと書き、*ナウをキャと書く。 間違っているのか、何か意図あってのことか不明。 |
最勝(ウ)は延宝7年以降の像に使われる文字である。それ以前は書かないか、文首文字(イ)を用いる。
釈迦のバクが書かれていること、釈迦三尊(釈迦・普賢・文殊)が並んでいることからこの像が釈迦如来だと分かる。弁財天がなぜ加わっているのかは?又、退蔵界大日如来三種真言は飛騨など後期の像に使われることが多い。
肉髻で如来だとは分かる。衣の下に印相が隠れているため他に判断の材料がないが、背面種字で判断できる。この背面種字の読み解きで円空研究が格段に進んだと言えよう。
円空の如来像の中で、圧倒的に多いのが阿弥陀如来、次いで釈迦如来で23体確認されている。