円空さんを訪ねる旅 (127) 伊勢・志摩の円空仏 伊勢市二見浦 伊勢市朝熊町金剛證寺 志摩市上五知薬師堂 |
2019年12月11日(水)伊勢志摩の円空仏を見る会に参加しました。不断寺の次に訪れたのが、夫婦岩や天の岩戸のある興玉神社。そのあと、金剛鐙寺を訪ね、最後に志摩市磯部町にある上五知薬師堂へ向かった。
二見浦は、小学校の修学旅行で宿泊した場所で、旅館名も覚えている。その時、早朝に夫婦岩の日の出を見に出かけた。興玉神社からそう遠くない場所なのだが、今回も見そびれた。
二見浦と円空の関係は、「126,不断寺」で和歌について書いたので省略する。昼食を二見浦の旅館街でいただいた。近くに赤福や御福の店、それに大変古風で立派な大きな旅館があった。
金剛鐙寺ははじめての訪問。ここは五知から伊勢神宮への登拝路にあり、伊勢神宮の奥の院とも呼ばれる場所で、円空もおそらく参拝したと思われる。
(1)金剛鐙寺と雨宝童子像
伊勢神宮の鬼門を護る寺として伊勢信仰と結びつき、伊勢音頭では「伊勢へ参らば朝熊駈けよ、朝熊町駈けねば片参り」と唄われた伊勢志摩最大の寺。ここは虚空蔵菩薩の眷属である雨宝童子が祀られている。 雨宝童子は江戸時代天照皇大神の化現と考えられていたようで、金剛鐙寺が伊勢神宮の「奥の院」と呼ばれる由縁になっているようだ。 本尊は虚空蔵菩薩。現在は臨済宗南禅寺派。空海中興の寺とも言われている。 左の神社は中山神社であり、雨宝童子像は下の写真にある雨宝童子像と似た像が祀られているようである。102cm、平安時代の木造で重文とか。 |
雨宝童子像は荒子観音寺にあると思うのだが、全く記憶にない。
下の写真は金剛鐙寺仁王門の裏側におられた二体の像である。右が雨宝童子だそうだ。頭部に塔を載せ、左手に宝珠か。右手は前に差し出している。首には飾りが見られ、菩薩像のようにも見えるが、沓を履いている。髪型は女性のようであり、お顔も優しい。やはり天照大神の化現を意識しての造像か。台座は磐座なのか不明。
それより対になっておられる左の像が不思議である。お顔などは観音菩薩のようにも見えるし、龍に乗っておられるから龍頭観音かと思ったのだが、手に剣を持っておられて、四臂。これはどなたであろうか。*八大龍王だとその後教えていただいた。
このお寺には不思議なお像が他にもあった。本堂への入口付近左に牛に乗った大黒天、右に虎の像。神社なら狛犬のありそうな場所である。これも神仏習合なのかなあと思った。
講師の小島梯次円空学会理事長から金剛鐙寺の本尊の背後に15cmほどの円空作の天照皇大神の男神像があると推定している本があると聞いた。今回拝見できないかと聞いていただいたようだが、金剛鐙寺から「何事の おわしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という西行の和歌が返事として返ってきたとのことであった。
(2)再訪上五知薬師堂
(志摩市磯部町上五知)
ここへは2度目。最初の訪問が印象的で記憶が鮮明に残っている。前回の記録は「円空さんを訪ねる旅22」である。
今回マイクロバスで行くと聞いていたのだが、果たしてあの路を通行できるのか心配していた。でもさすがにプロ。見事なハンドルさばきであった。
今回は集落の方が、お堂を開けて下さい、前回よりもしっかり写真を撮らせていただけた。