円空さんを訪ねる旅 (129) 岐阜県美術館 円空大賞展 2020・1・30~3・8 |
岐阜県美術館で円空仏が見られるという情報をいただき早速行ってきた。
私はJR岐阜駅で降りて、JRバスターミナル6番「市橋行き」に乗車し「県美術館」で下車。徒歩数分で会場に着いた。「西岐阜駅」から徒歩15分という情報が美術館のHPにあったのだが、きっと迷うだろうと判断して、バスに乗った。このバス、一時間に1~2本(ほぼ1本)。行き帰りとも時間を考えて動く方がいいようだ。私は運良く行きも帰りもスムーズに行けた。
円空大賞は岐阜県が「土着の伝統に根ざしながら独創的な芸術を創造している芸術家を顕彰する」もので、今年で10回目。第1回受賞者が故西村公朝さん(前愛宕念仏寺住職)であったこと、審査委員長が故梅原猛さんであったことが印象に残っている。以前読んだ本に「長く円空研究に携わった方を円空大賞にと進言した」と故池田勇次さんが書いておられたことがあって、なるほどそれはいいなと思ったことがあった。しかし岐阜県の意向は独創的な芸術の創造者の顕彰であるから無理かな。
私は円空大賞展を拝見するのは初めてある。絵画・木彫・映像・金工・写真などの展示で楽しく拝観した。
その中に、飛騨の円空仏が展示されていた。別枠で並べてあるだけでなく、大賞作品とコラボしているものもあり、おもしろかった。
今回展示されている円空仏は、(入口から出口順)
①金剛神二体(飯山寺・飛騨高山まちの博物館寄託)
②弁財天(高山市飛騨国分寺)
③不動明王(高山市素弦寺)
④薬師三尊(丹生川町板殿薬師堂)
⑤柿本人麿像(高山市東山神明神社・飛騨高山まちの博物館寄託)
⑥十一面観音・今上皇帝・善女龍王(高山市桂峯寺)
の計11体。①と⑥は撮影禁止。高山市が協力されたようだ。
板殿薬師堂の薬師三尊は、2013年東京国立博物館「飛騨の円空展」で拝見しているのだが今回の展示でいいお顔をしておられるなあと見直した。
素弦寺の不動明王と受賞作品が同じスペースにありコラボしていた。
(1)弁財天(高山市飛騨国分寺)
(2)不動明王(高山市素弦寺)
(3)薬師三尊(高山市丹生川町板殿薬師堂)
穏やかな笑みをたたえておられる。阿弥陀さんはすましたような顔だ。大きな手の薬師さんだ。
中尊薬師如来は左手に薬壺を持っておられる。脇侍は日光月光菩薩かと思いきや、向かって左に定印を結んだ阿弥陀如来がおられる。
問題は右なのだが、小島梯次さんは観音菩薩だと書いておられる。(「円空仏入門」より)
「飛騨の円空展」(国立東京博物館)の図録には釈迦如来だと書いてある。
今回の展示では脇侍(月光菩薩)とあり、解説で観音菩薩としてあった。
岐阜市内の民家に薬師・阿弥陀・観音の三尊があり、鉈薬師にも本尊は円空作ではないが、脇侍として阿弥陀、観音の前例があることから小島梯次さんの説が説得力があると思う。この像には背銘や種字がない。そのため決定的な証拠に欠けるのである。
(4)柿本人麿像(高山市東山神明神社・飛騨高山まちの博物館寄託)
円空は柿本人麿像を荒子観音寺に一体、荒子近くの願成寺に二体そして飛騨高山東山神明神社にこの一体を残している。 最初に拝見したのがこの像だったためか、円空の人麿像と言えばこれを思い浮かべる。この像は背の高いダンディな人麿を想像させる。 願成寺さんに二体あるが一体は荒子のものとおなじ材を二つに割ったもので、もう一体は腐食が進行しており残念な状態になっている。荒子のものは、中年過ぎたおじさん、おじいさんという感じのものである。 腐食が進んでいるものとこの像は似ているように私は感じている。そのスマートな全体像がである。 衣服のひだの流れを上手く表現している。額には皺が刻まれ十分オジサンなのだが若々しく感じる。 姿勢は荒子観音寺や願成寺のものもみな同じだ。 円空はなぜ和歌を詠んだのだろう。あんなにたくさん。 |