円空さんを訪ねる旅
(131)

鉈薬師その2
十二神将

(紅葉山薬師堂)
名古屋市千種区田代町
 
 鉈薬師の17体の円空仏の中で、その造形のおもしろさや独自性を一番発揮しているのがこの薬師三尊の護法神である十二神将であろう。円空さんが最初に彫った十二神将であり、この後何セットか彫られる十二神将の中でも異彩を放つ作品群である。
 写真で見ていたときには辰像に惹かれていたが、実際拝見すると寅像に一番感動した。二ヶ所に別れて展示されているガラス越しの12体をじっくり拝観した。薄暗いお堂の中でどの程度の写真が撮れるか分からないが、切実に写真が撮りたいと思った。
 角材をそのまま使ったものと斜め対角線にそって伐り直角三角形にしたものがある。高さ110cmから141cmまで様々で、幅は4,50cm奥行きは数cmから30数cmとこれまた様々である。円空さんは材を決めてから意匠を考えたのか、意匠を考えてから材を選んだのかを思った。
 表情が大変ユニークである。どこの村にもいそうな農民風の顔(子像・午像・未像)。不気味な雰囲気を醸し出している爬虫類的で超人的な表情(寅像・辰像・申像・酉像)。盾か板塀の影に隠れてニコニコしながらこちらを窺っているような像。(卯像・巳像)の目は奥まっていて不気味である。神官か中国の役人のようないでたちで威嚇している顔は怒りを含んでいる像もある(戌像・亥像)。丑像は得体が知れず武器も持たず、腰をかがめているが、いつでも攻撃するということを示しているように見えた。
 持っている武器もよく分からないものもあるが様々。弓矢、まさかり、のこぎり、刀、宝棒、槍か戈のようなものではないかと想像した。
 冠りものをしているように見える像もあれば怒髪の像もある。目は概ねつり上がっているようだ。子像・巳像・午像・酉像には巻き雲文様が見られない。
 額に漢字で干支が彫られている。この漢字の彫りが上手だなと前から思っている。円空の字は決して達筆ではないが、この彫られた字は他に残されているものでも上手である。 

(1)子・丑・寅像

 これから書く大きさや重さの数字は昭和50年に精査された6人の方が測定されたものである。大きさの表示は、高さ×幅×奥行(最小・最大)を表している。「円空研究19」の長谷川公茂論文及び「鉈薬師の円空仏」小島梯次論文を基にしている。
 子像(三角柱)
123.1×39.5×(3・24)
重さ26kg 直角三角形の最長部正面
丑像(三角柱)
110cm×43cm×(2・14)
重さ16kg 直角三角形の最長部正面 
寅像(四角柱 )
141×49×(23・24)
53kg 角材長い面が正面 
 両手で斧を正面に握って(左手上)持つ。斧は刃が左向き。巻き雲文様が見られない。怒髪だが表情は日本的で威圧感がない。柄の両端には先が飛ばない工夫がある。   三角形の一番角度のないところに顔を作る。お面のような得体の知れない不思議な顔である。巻き雲渦巻き模様の上部に矢のようなものが見られるが武器がよく分からない。    二重まぶたのぐりぐり目、口は左右に大きく裂け不気味。右手にノコギリを持っている。目の粗い鋸でこれで挽かれたらさぞ痛いであろう。下半身に虎。渦巻き文様。頭に被っているのは何だろう。 

(2)卯・辰・巳像

卯像(三角柱)
110×40×(0.5・21)
21kg 直角三角形最長辺後方
辰像(四角柱)
129×51×(22.5・23)
52kg角材長い方が正面
巳像(三角柱)
114×38×(3・21,5)
直角三角形短い二面を正面に
渦巻き文様の盾に身を隠しているようだ。その上部は矢羽のように見えるが。顔は奥目で優しげだが目の上に皺が見られる。衣服が中国風。左手に宝棒。  円空の龍の中で最高だ。龍の体がどうくねってどう繋がっているのか追跡すると意匠が見えてくる。顔は寅像申像酉像同様目が上がり口角が上がって私は爬虫類的な恐ろしさを感じる。巻き雲渦巻き文様が効果的。  右手で弓の弦を持ち、中央に矢のようなものがある。その鏃部分が恐ろしく大きくて尖っており、後方にあるものは戟か。鼻が低く静かにこちらを見つめている。

(3)午・未・申像

午像(三角柱)
112×46×(2.5・18)
16kg 直角三角形最長部正面
未像(三角柱)
126×31×(0.5・27)
26kg 直角三角形最長部正面
申像(三角柱)
117×42×(2.2・33.5)
24kg 直角三角形最長部正面
 子像とよく似ている。斧の刃の方向が左右逆で、衣服を彫り込んでいるのが左右逆だ。子像を裏向けにして裏から描けば午像になるのだが、午像の顔つきはよりのちの荒子観音の像に近い。私の絵は口を開けすぎている。この像頭部に改印あり。  弓の弦部分を左手に持ち立つ。巳像は右手に弦を持ち立ちこの像と対象をなす。渦巻き雲模様が散見することも違う。表情に特徴がある。十二神将中唯一垂れ目で頬に笑みが見える。寅像も笑みとも見えるが不気味さがある。子像、午像と同じくどこにでもいる人の顔である。  申像は両手で(右手上)宝棒を握っている。顔及び怒髪体部の深い彫りなど辰像に似ている。この像は顔が向かって右にあるが、辰像は正面左を向いている。渦巻き雲模様は遠慮がちでしゃぼん玉みたいにも見える。

(4)酉・戌・亥像

酉像(三角柱)
122×43×(2.2・33.5)
24kg 直角三角形最長部正面
戌像(三角柱)
114×42×(3・21)
14・5kg 直角三角形最長部後方
亥像(三角柱)
120×41×(3・23,5)
24kg 直角三角形最長部後方
 酉像は不気味である。目は眼球全体が飛び出しつり上がっている。口は上部まで裂けている。この顔は爬虫類を連想させる。頭髪は前面だけ渦を巻いているようだが、上部では直毛怒髪になる。右手に持つのは剣で左手は宝棒のようだ。  この戌像は一番十二神将らしい。両足を開き大地を踏みしめて立っている。鎧を着ているようだ。頭部の冠りものか頭髪は肩まで伸びている。小島梯次氏は大きな鋸を持っているのではと書いておられる。剣のようにも見える。右手が上で左手が下のようだ。指が6本あるようにも見えるのだが・・・。  この像はどの角度から見ればらしいのかと考えてしまう。顔を正面にして描いたら上のようになったのだが、持ち物などは判然としない。丑像との類似点があるという。眉を一本線で刻まれていること。目が突出していること。矢羽根様のものが側面に見られ渦巻き文様が下部に見られることなど。

(5)円空の群像構成

 円空さんは背面に右1とか並べ方を指示している仏も残しているのだが、この群像にはそれはない。十二神将の場合、十二支順に並べたであろう事は想像に難くない。では、どういう並べ方をしたのであろうか。
 奈良新薬師寺の十二神将は薬師如来を円の中心に置いて、十二神将が十二方位の外側を向いて立っておられる。日光月光菩薩像は失われているのは惜しいが、これが一番自然だ。薬師寺には薬師三尊はあるが十二神将がない。
 鉈薬師の場合、薬師三尊は薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩という通常の三尊形式ではないものである。日光月光菩薩像は付け足したようにある。
 そして十二神将のうち干支順に「子・丑・寅・卯・辰・巳」像が向かって右側にガラスケースの中にあり、「午・羊・申・酉・戌・亥」像が左側のガラスケースに並べて置いてある。十二神将像は立体ではあるが、その形状からして、板彫りしたようで、不安定な薄いものである。板彫りで思い出したのだが、興福寺国宝館にある板彫十二神将(平安時代)の表情が円空作のものに似ている。とりわけ招杜羅(しょうとら)大将像の顔は丑像似ていると思う。興福寺像を円空が見たという証拠はないのだが。
 下の並び方を小島梯次氏は想定しておられる。右側は子から巳まで干支順。左側は逆に奥の午から亥まで干支順である。
 子と午、丑と亥、寅と戌、卯と酉、辰と申、巳と未はそのデザイン、持物、顔の表情などに共通点が見られる。子像と午像は並びの前半後半6体の最初で共通点があり、一つズラして似ている像を並べたというのである。現在は左側も午から亥までの干支順に並んでいる。
午像  阿弥陀 薬師 観音
月光 日光
 
未像  巳像
申像 辰像
酉像  卯像 
戌像 寅像
亥像 丑像
僧形像 子像
 結論として以下のようにまとめておられる。
 「円空は鉈薬師で初めて17体もの群像を手がけたのであるが、見てきたように全体の構成の中で各像を造像していったことが考えられる。後年円空は各地に多くの群像をのこすようになるが、十二神将のようなセットの群像は無論のこと、一見無関係のような群像も、最初からそうであったように全体構成の中で造顕していったと思われる。そしてそれは単に像の様式上の構成のみならず、像種の構成においても、円空の考えた信仰の統一された世界の中に成り立っているのではないかと、私には思われる」(『鉈薬師の円空仏』(小島梯次・行動と文化研究会18号・1991年)

(6)鉈薬師の17体はいつ造像されたのか

 造像年については樋口好古の『那古野府城志』にこのように記されている。
「(前略)薬師仏を賜はるべき旨、寺社奉行田辺彦四郎をして上命を承け、再建料御材木をも賜り、寛文九年酉年こゝに移し、小宇を造(日光・月光)二菩薩十二神の像を新調して安置せり。此仏像は
新木(あらき)のまゝにて鉈作り也と云。(後略)」
 もう一冊。『張氏家譜』にも寛文九年酉年のことが記載されている。
「(前略)寛文九酉年上野村陽光院扣ニ而辻堂躰之薬師往古は別に寺号も御座候程之堂舎二而薬師ハ聖徳太子作之由申伝候得共追年破壊止候付右拝領新田山之内江引移シ造建支度旨上野村中江所望止候得は衆議一決不止候由ニ而事延引罷成候此段(後略)」
この二つの文書に出てくる寛文9年(1669)という年に鉈薬師が形をなしたと言えよう。もちろん現在の建物や場所ではない。
 『那古野府城志』に日光・月光菩薩と十二神将を新調して安置したことが書かれている。気になるのは、阿弥陀、観音像と僧形像についての記述がないことである。阿弥陀、観音像と日光・月光像の様式や材の違いが問題になる。表面が滑らかなのは同じだが、阿弥陀、観音像は目が二本線、日光、月光は一本線。材は阿弥陀、観音は丸木。日光、月光は角材である。ちなみに僧形像は角材であり、目は二本線である。
 小島梯次氏は「私は鉈薬師諸像のうち円空が最初に造顕したのは、阿弥陀・観音・南無太子像であり、次に日光・月光そして十二神将像の順番であったろうと思っている。十二神将以外の5体は、どちらかといえば表面を滑らかにするという鉈薬師以前の像と連なっているし、十二神将像は表面に強いノミ跡を意識してのこすという鉈薬師の像に繋がりが見られる」と書いておられる。
 最近『円空研究34』(2020年7月円空学会刊)で清水暢夫氏の「中観音堂の十一面観音とその胎内仏等の制作年代について」という論文を拝見した。その中に「鉈薬師像はお堂と一緒に寛文九年に作られたと一般的には認識されている。しかし実際にはお堂が寛文九年に建てられ、諸像の一部は寛文十年に造作されたということも考えられると思う」「堂内で一番古様な様式をしている聖徳太子像以外の像の一部は寛文十年に作られた可能性もあるのではないか」と書いておられる。
 この説は衣文のありようから寛文九年十月十八日の棟札を持つ関市雁曽礼・白山神社・白山三神像との整合性を保つために論じておられるのではないかと思われる。
 私は、『那古野府城志』にある「小宇を造(日光・月光)二菩薩十二神の像を新調して安置せり」という記述が極めて具体的であることに信憑性を感じる。阿弥陀、観音像と僧形像が語られていないのは、小宇建造前に作られていたからではないかと思う。その方が様式的には合理的だと思うのであるがどうだろう。
 (7)鉈薬師との関係が考えられる4体の像

①栖了院の2体

釈迦如来像(45.3cm)  不動明王像(59.1cm)    「円空さんを訪ねる旅」116で取りあげた
「栖了院」の2体である。
 この寺の山号『間宮山』は、この二体と大いに関係がある。栖了院は、今川家の家臣であった間宮家の菩提寺であった。昭和3年に阿弥陀座像が、昭和43年に不動明王像が名古屋在住であった間宮家子孫から寄進された。間宮家では二体を念持仏として大切にしてこられたらしい。
 間宮家と円空の関係は鉈薬師の張振甫を介してあったようである。
 寛文7年(1667)藩祖義直の信任厚く元家老職であった間宮大隅守の所領であった土地を鉈薬師のために張振甫に与えたようだ。大隅守は寛文8年(1678)没したが、その後も鉈薬師を通じて張振甫、間宮家、円空の関係があったと考えられる。
 寛文9年(1669)年鉈薬師が建立される。この二つの像も同じ時期に作像され、張振甫から間宮氏に譲られたものではないかと想像される。(『円空研究3』長谷川公茂「尾張・三河特集写真解説」参照)鉈薬師
 釈迦如来像は明らかに初期像の特徴を持っている。二重線で表された眼。ショールのような衣。長くなりかけている裳懸座。そこに蓮座の変形が見え、磐座の上に乗る。
 不動明王像だが、鉈薬師の十二神将を見ていて、この像を思い出したのだが、板彫りに近いという共通点がある。この像は円空が寛文期に彫った最初の不動明王かも知れないという点で注目されている。この像は厚みが7.1cm。薄くて自立が困難である。

②善昌寺の薬師如来と臨済寺の卯像

 残念ながらこの2体は未だお目にかかっていない。
 善昌寺(名古屋市昭和区石仏町)の薬師如来は、鉈薬師の本尊として彫られた可能性があると言われていることは、『名古屋市鉈薬師の円空仏その1」で書いた。
 臨済寺(静岡市大岩)にある十二神将卯像は、鉈薬師の宮大工の棟梁が個人的に円空に彫ってもらったのではと想定されている。

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