円空さんを訪ねる旅
132
茨城県立歴史館
茨城県水戸市緑町2丁目
 
 2022年10月23日(日)「円空学会」が茨木市県立歴史館で、「水戸市研究会」を開催しました。前日から「全国木喰研究会」は秋のツアー中で、この日は「濱田庄司記念益子参考館」見学後、ここを訪れました。両研究団体合同の研究会になりました。
 木喰研究会ツアーの参加者は9名。円空学会の方々が、名古屋他関東各地からお集まりになり、合計24名になりました。なぜ円空学会の方々がわざわざ遠方からお集まりになったかと言うと、その背銘にある文字が論争を呼んできた茨木県笠間市大町月崇寺の観音菩薩(茨城県立歴史館寄託中)、及びかつて岐阜県関市にあった十二神将辰像が、現所蔵者のご好意で拝見できることになったからです。
 私は円空学会にも木喰研究会にも参加しています。多くの参加者で、ご用意いただいた部屋は満員。像の背後に人が立たれて、思うように写真は撮れませんでした。

月崇寺観音菩薩像
(茨城県笠間市大町・43.5cm)

《背銘文字》
萬山護法諸天神
御木地土作大明神 延宝
             八年 庚申  秋
種子「サ」観世音菩薩
            
 
その像容 
 磐座の上に立ち、手を衣で隠し、なで肩で立っておられます。手に衣を掛けておられるようにも見えます。頭部から肩、上腕部まで女性の長い髪の流れのような表現になっていて、こういう被り物なのかなとも思いました。
 この木は材が何なのか分かりませんが、堅そうです。正面衣の下部は実に彫りにくそうに鑿跡がガタガタとしています。背面は、この材が像を彫るには不向きなものではないかと思われます。根っこか、枝分かれの部分か実に彫りにくそうな材です。
 横から拝見すると、前に倒れるのではないかと思うぐらい相当前屈みでした。観音像ではあるが、神仏混合像であり、大明神像でもあります。 
1,背銘を読む
 私はもっとはっきり文字が見えるものだとばかり思い込んでいたのですが、ほとんど文字は読めません。この背銘写真が発表されたのは昭和55年(1980)赤外線写真として『円空学会だより』第7号に発表されました。
 背銘は腰から下の部分に書かれています。
 まず、この観音像が「延宝八年庚申の年(1680・円空49歳)九月中旬の作であると言うことが分かります。関東に残されている円空仏中一番古い紀年銘を持つ像です。
 この延宝8年の前年、円空は滋賀県大津市園城寺より「仏性常住混合宝戒相承血脈」を受けており、園城寺で学んでいたのでしょう。園城寺の修行の後、関東に足を向けるのは理由あってのことと思われます。
2,御木地土作大明神の読み①
 「木」を「本」と間違って書いたのではないかという推定で読むと、「おんほんちつちつくるだいみょうじん」と読めます。意味としては、「この土地におられる土作る大明神」を観音の姿にして彫ったということになります。円空は「本地聖観音」などとその土地の地神を背銘に書くことがあります。「御」は本地にかかります。
3,御木地土作大明神の読み②
 「士」を「士」の書き間違いとして、「御木地士(御木地師)作る大明神」と読みます。この読みは、故五来重氏が昭和55年の論文で発表され、その後美並村(現郡上市)の正式見解となりました。木地師である円空が大明神を作ったとなり、「御」は「木地土作大明神全体にかかると主張されました。「大明神」は木地師の守護神である「大皇大明神」であろうと推論されました。
4,円空生誕地論争へ
 この読み方の違いは円空の生誕地論争に発展します。円空は瓢ヶ岳山麓(美並村)の木地師の子として生まれ、木地人形の制作から仏像神像作りに進んだという推論が美並村から発信されます。一方岐阜県羽島市は生誕地は羽島中観音堂附近だと主張しました。
5,その後の論争①池田勇次著「【修験僧】円空 研究成果と課題」(2007年惜水社)等参照
①木地人形…木目込み人形に残っており 1657年「氏子狩り帳第二号明暦三年(1657)に60名が名を連ね鴨川沿いに「京木地師」の名も、
②「土」について 土に「,」が上に付いていると読んでいたが、円空の書き癖は上でなく真ん中に打っていた。訂正しお詫びする。士に点を上に打 つと「じ」と読めるという主張だったと思われます。
③土作大明神を笠間焼との関係では考えられない。笠間焼の発祥は早くて宝暦年間(1751~1763)とか安永年間(1772~1780)であり月崇寺の像 の延宝8年より100年後である。
④「士」は尊称として使用されていた文書を円空は読んでいた(洲原白山並安定由緒)。例えば観音大士、十一面大士など、偉大な人、菩薩の意 として。この像の場合、「士を師と同意語として使った」と推定したい。
⑤木地師に関する「氏子賭帳」では、きじや・木地屋が多く木地師は少ない。公的文書として木地師が通用するのは文化4年(1807)。「これ以後  は諸国一同この呼称を用いることにした」とある。円空の時代は様々な呼称があったと推定され,円空は木地士と尊称したとも考えられる。
6,その後の論争② 小島梯次著「円空仏入門」(2014)、「円空・人」(2021年)など参照
 この円空学会の「水戸市研究会」には、円空学会理事長小島梯次氏が参加されており、この像について解説されました。小島先生は美並生誕説及び円空木地師説には否定的です。その理由は以下の通りです。
①円空が生きた時代に「木地師」という言葉は使用例がない。「きじや」が通例であった。
②円空は背面に尊名を書くとき、普通名詞は使用しない。「御」「木地士作」「大明神」だとしても尊名は「大明神」となる。例えば「如来」とか「菩薩」 のみの尊名は考えられない。
③御木地師作る大明神となると、御は木地師にかかり、自らの尊称になり、円空が書くとは思えない。
④この大明神を「大皇大明神」とするのも無理がある。円空が毎日唱えていた日本の神々40柱にない。現在見つかっている円空仏5400体の中  に「大皇大明神」は一体もない。特に円空が「大皇大明神」を崇拝していたとは思えない。
⑤「御本地○○」と背銘にある像は,北海道に7体、飛騨や高山にも3体ある。
 私の「円空さんを訪ねる旅(66)丹生川町荒城川神社にも写真がありますのでご覧下さい。
 私は美並生誕説には無理があると考えています。ただ、円空の白山信仰や造像についての研究を深める上で、美並は重要な地です。そこで積み重ねられた研究成果をもっと学ぶ必要があるのではないかと考えています。
 小島先生が資料を用意して下さっていました。茨城には月崇寺のこの像の他に、光了寺「不動明王」(43.5cm・古河市)、子の神社「合掌像」(22.4cm・古河市)があるそうです。合掌像は矜羯羅童子像のようです。  

十二神将辰像(岐阜市関市・個人蔵)
(54.0cm)

 なかなか立派な大きな像です。
 しかし、相当な傷み方で気の毒です。
 龍の顔、鼻、手、足が崩れています。虫食いが全身に及んでいて、痛ましい状態です。
 この像を含む12神将は昭和31年の写真が残されており、岐阜新聞昭和32年の「円空上人とその彫刻」という記事でも使われています。
 当時は有名な像だったようです。
 ところが、65年前にアメリカへ渡ったということです。そのうちの二体の所在が分かっているそうで日本にあります。
 もう一体がこの像だそうで、三体目と言うことになります。
 昭和30年代に円空仏の評価が高まったと聞いたことがあります。
 その時期に外国へ渡った円空仏も相当数あったのではないでしょうか。そんなことを考えさせられる像でした。
 
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