円空さんを訪ねる旅 (133) 伊吹山 太平観音堂跡 |
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2023年8月27日(日)第53回円空学会総会が、滋賀県米原市で開催された。 コロナ禍の影響で昨年は中止になったが今年は無事行われた。 総会は伊吹山資料館で開催された。議案審議のあと、黑野興起氏の講話、シンポジウム『円空の人物像』などの後、現在春照にある太平寺の十一面観音像を拝観し、太平寺集落跡見学が行われた。 『伊吹山太平観音堂』のことは以前にUPしたものがある。 |
伊吹山太平観音堂跡は現在大阪のセメント会社の所有になっており、自由に出入りできなくなっている。今回は特別許可が出て見学することになった。私は以前から円空が修行した行場である平等岩と十一面観音のあった太平寺中ノ坊のあった場所の空気感を味わいたかったが、果たせずに来た。今回の企画はありがたかったのだが、春先に腰痛と膝痛を発症して、残念ながら参加できないなと思っていた。最初は不参加で返事をしたのだが、車で行けて、少し歩けば現地へ行けると聞き、参加することにした。 |
太平観音堂はこんな場所に
車を降りて、坂道を200mほど下ると太平観音堂寺跡についた。斜面で下草と木々に覆われていた。昭和39年(1964)に集落が集団移住されたそうだ。 この木々の生えている辺りまで大門通りが通っていたらしく、ずっと下まで続いていたようだ。 中ノ坊は一番下にあったようである。 |
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この五輪塔や石仏群は、現在春照にある現太平観音堂敷地内にある。 集団移転の時に人々と共に山を下りられたらしい。 ご説明をされた方によると、太平神社辺りにはもっとたくさんの地蔵他が祀られていたらしい。 |
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太平神社 石段を登っていくと,唯一残されている太平神社の建物が見える。ここがこの集落の端になるようだ。 そしてこの参道階段の右に下の記念碑が建てられていた。 昭和38年に建てられたこの記念碑は高度成長期の世相を反映しているように思える。 |
記念碑 | |
当地は元大字太平寺と称し宝亀年中勅願により 三修沙門太平寺建立せしも時代の変遷に伴い 全廃して一坊だに存せず 寺名をそのまゝ字名と なしたる由伝えられたり 戸数十五戸 平和の中 に一致団結隆盛を見るに至る 然るに 大阪セメン トKK伊吹工場の採石地爰に含まれた危険を憂え し矢先 採石の地として全戸立退 土地提供を要望 され 双方妥協 卅八年六月調印 万難千句を克服し大字春輝地の一角を買収移住地と決断卅八年 十二月目出度 無事全戸集団移住完了 茲に幾多 の伝説を秘めし 永年の墳墓の地に感謝し 先祖の 恩恵に感■し 是を後世に残して 記念とす 松嶌 照子 謹書 *■は人偏に風の字 *JR東海道線で米原から醒ヶ井辺りまでの間車窓伊吹山が見える。伊吹山の麓から中腹まで採石場が見える。ここで書いている場所はその上方辺りである。見事なはげ山になっていて日本武尊伝説の山気の毒にと思う。 |