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東京に円空仏は16体あり、いずれも移入されたものである。 円空が詠んだ和歌の中に江戸を詠ったものが4首あり、円空が江戸をを巡錫した可能性はあるが、江戸で造像されたものは発見されていない。 この中井出世不動尊にある不動明王像とその眷属である勢た迦童子、矜羯羅童子像3体は、もともと愛知県一宮真清田(ますみだ)神社にあった。 江戸時代後期に尾張から江戸へ、中井御霊神社の別当寺である不動院に安置された。その後大正時代に中井出世不動尊としてこの地に落ち着かれたらしい。 |
不動明王(128cm)
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矜羯羅童子(64cm)・制た迦童子(67cm)
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台座銘
不動明王台座銘銘 | 矜羯羅童子台座銘 | 制た迦童子台座銘 |
文政二卯六月十七日御着 尾張哭中嶋郡 一宮神宮寺 四つ谷 同十二月二日出(?) 吉見作 (??) 般若院峯重 奉不動明王両輿 大正十五年十月 大仏師北豊岩淵町 狩野健冶弘信 |
尾張中嶋郡松降埜荘青桃丘 一宮清田大神宮別当 神宮寺般若院 文化十三年六月十一日御着 東海道 御供 杉山平馬 古川喜十郎 |
不動院 両岩 勇山 武州豊嶋郡下落合村壹 御霊大明神 文政四辛巳年 極月出来 西村藤吉 音羽町七丁目 作之 |
中落合のこの辺りは江戸時代尾張藩とつながりがあったようで、円空像が運ばれたのには、尾張藩が関係しているようだ。 狩野健冶弘信という仏師が大正時代に円空の不動明王を改作したようだ。目を大きくして、ぱっちりお目々の男前にしたようである。三尊とも目が大きく改作されている。ここまで変えると、この像は「円空仏」と言えるかという疑問が出てくるだろう。自分のもっている円空仏のイメージとのギャップがどなたにも生じると思う。こういう運命で今も拝まれている円空仏があることを円空はどう思うだろう?円空さんは まあまあと笑って認めそうに思うのだが。 台座を作ったのが西村藤吉という方なのだろうか。 東海道を二人の方がお運びになったのかと思いながら読んだ。 中井出世不動をお世話されている方が、ご自身のお祖母さんがこの不動さんの由来を語っておられたと言って話して下さった。それによると、昔々乞食のような身なりの僧が、お不動さんを背負ってこの辺りまで来て倒れられた。それを皆で介抱してさし上げたが、その甲斐無くお亡くなりになった。背負っておられた三尊を大事に祀り今も大事にお世話している……というような話であった。自ら乞食僧を名乗った円空らしい言い伝えだなと思いながら聞いた。もう少し正確に聞いておけば良かった。 |